【どんな働き方を選ぶ?】トレーニングは集中的かつ短期間で!
医師は医局や資格に紐づいたシステムに乗って修練することが多いですが、政治的な意図が入ったり制度設計が悪かったりして理想的とは言えない面もあります。筆者は比較的自由に修練や進路を選んできたので、その経験から、トレーニングはどのように行うのが良いのか考えます。
目次
昭和な努力は効率が悪い
いつも病院にいてプライベートを犠牲にしても患者に尽くすような医師のワークスタイルは、かつて常識であり美徳でもありました。未だそのような勤務形態が事実上強要される雰囲気がある施設もあるでしょう。
しかし、現代的の働き方でないのはもちろんのこと、トレーニングという観点だけ見てもとても効率が悪いです。症例数をこなすと最初は最適化が進み、それは価値があるのですが、その先はただこなすだけの作業になっていきます。新しい発見はどんどん減っていき、得るものに対して消耗の度合いが増えていきます。最終的にはほとんど単純労働になってしまう人もいると思います。それが好き、というのであれば否定はしないのですが、こなすだけの労働は成長しないのでキャリア的にも害です。少なくとも最初からそこを目指すのは良くないです。
施設で見る症例は、最初の1年で大体遭遇する
1年働けばその施設が扱っている大半の疾患に遭遇するはずです。その先は新しい症例に出会う確率は減っていき、自分の成長度合いも下がっていきます。
トレーニング期間中は、できるだけ多くの施設で経験を積むことが成長効率を高める上で重要だと考えています。もちろん、様々な理由で転勤が難しい場合もあるかもしれませんが、「なんとなく怖いから同じ施設にずっととどまる」という考え方は避けた方が良いと思います。
楽しくないと成長効率は落ちる
新しい発見がなくなっていったり、疲れてやる気が起きない状態では、人は学ばなくなっていきます。
働いて楽しいと思える出来事があったり、楽しいと感じられる健康状態は成長に不可欠なのです。事実、我々からみて仕事ができるな、と感じる先生方はいつも楽しそうに仕事をしていますし、きっちり休んで遊んだりしています。新しいことに挑戦する気概があり、その結果診療技術も伸び続けるように思います。
低すぎる負荷は時間の無駄
じゃあ楽ならいいか、というとそうでも無いです。まずは任せられないとトレーニングの場に立てない、という点。大半の仕事を一人で効率的にこなせるようになる数をこなすまでは、やや高めの負荷のほうが伸びると思います。
また、人は仕事がないと怠け始める傾向があります。トレーニング期にこの気持ちは排除したいので、トレーニングしたいなら仕事量を持ちましょう。トレーニングして成長できる期間は有限ですから、トレーニング期と考える間はやや高めの負荷を求めたほうがいいのではと思います。
トレーニングは集中的かつ短期間で
このように考えると、トレーニングとして理想的な形のひとつは、新しいことに挑戦して、新鮮味がある期間は高い負荷で仕事をこなし、学びがなくなったらそこから離れるというやり方だと思います。この期間は成長に自分の時間を投資すると決めて、きっちり働く。その期間が終わったら別のところに行くなり、家庭中心にするなり、働くペースを落とすなりして、メリハリを付けた方がいいと思っています。
キャリアにも「投資回収期間」が必要です。
トレーニングは投資として考えることができます。自分の時間や体力を投資して成長し、トレーニング期が終わったら成長した自分を武器に、お金や時間、幸せを回収しましょう。この投資回収という概念は多くの医師に不足している気がします。
なんとなく家族を犠牲にして働き、疲れて文句を言い続ける方を結構見ますが、彼らのの人生の目標や成功はなんなのでしょうか?開業?地位?老後の安定した生活でしょうか?
目標もなしに労働し、文句ばかり言うよりも、最初から「いつトレーニングの成果を回収するか」という明確な目標を持ち、メリハリのある労働生活を送った方が良いと私は思います。
専門医制度がトレーニングの障害になっている側面がある
さてこのような考え方に立って専門医制度を見ると、専門医制度というのは私達の合理的な成長を阻害している面があると思います。インフラ業である医師をある程度政治的にコントロールするのはReasonableではあるのですが、それにしても不合理な制度設計が目立ちます。
専門医を取らない、というのはリスクを感じるかもしれません、でも人生のような大きなものを投入してまで獲得維持すべきものなのか。冷静に調べて考えてみる価値はあるのではと思います。
働き方の考えは変わっていくもの
なぜ私がこんな記事を書くのかというと、自己反省が根底にあります。
医師業界はかなり保守的で、若手の搾取が制度維持の根底になっています。やりがいやトレーニングを餌に、若手は知らず知らずにオーバーワークになりがちです。専門医制度もそれを政治的に制度化したものと考えることができます。
文化的にオーバーワークが美徳とされやすく、オーバーワークを好む人口の多い医師業界において、ぼーっとキャリアを選ぶと、流されるままオーバートレーニングになってしまう人が一定数います。私もちょっと間違えばこのコースでした。今は、自分のスタンスに合わない働き方をしなくて本当に良かったと思っています。
どう働くのが美徳か、というのは情報が限られており、結構周囲の人間の影響を受けます。この記事を読んで、「なんだ当たり前のことじゃん」と思う人もいれば、現状ハイパーな働き方ゆえ抵抗感を感じる人もいるでしょう。どちらも正義だとは思いますが、労働人生のタイミングによって、考え方も変わっていくものです。今この記事が受け入れられなくてもいろんな働き方の考え方があるんだということは知っていていいかな、と思います。
この記事のライター
KCP ニッチな麻酔科ライター
フリー麻酔科医のライターです。ニッチな麻酔の記事を書いたりしていますhttp://note.com/kcp。仕事依頼などはX(Twitter)のDMから。https://twitter.com/KCP58227768
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