後期研修医の憂鬱Vol.2 iPhoneの着信音に背筋を凍らす日々

都内の医学部を卒業し、初期研修を終えた僕は、地方の巨大病院に内科レジデントの医局派遣としてやってきた。鳴り止まないピッチに幻聴を覚えながら過ごす毎日。少しの休みでも、ふとした瞬間で自分が医師であることを自覚させられる瞬間に襲われている。お願いだから、僕を解放してはくれないか。

後期研修医の憂鬱Vol.2 iPhoneの着信音に背筋を凍らす日々

目次

  1. 街中であの音を聞くと背筋が凍ります
  2. シンガポールでチリクラブを食べていたときはまだ
  3. 仕事から離れるために実践していること

街中であの音を聞くと背筋が凍ります

「当院のピッチはiPhoneなので、日本全国どこでも繋がります」

6ヶ月前に今の病院に移動してきた最初のオリエンテーションで、情報部の担当者から、そのような説明がされた。自信満々げに、あたかも僕たちのためであるかのような語り口調だった。

最悪だ、と心の底から思ったのをよく覚えている。PHSだった前の病院なら、せいぜい病院の半径数百メートル圏内でしか通じなかったのに、iPhoneになったせいで日本全国どこでも病院からの電話が通じるようになってしまったのだ。

それからこの半年間で、僕はiPhoneのあの着信音を聞くたびに一瞬で背筋が凍るように調教されてしまった。僕が持たされているiPhone SEのデフォルトの着信音は「テッテケテッテケテッテテッテテッテテー」で始まる「Opening」という曲だそうだ。僕らにとっては最悪の「始まり」。

院内で自分や同期のiPhoneが鳴ったときはおろか、少し車を走らせて国道沿いの吉野家でねぎ玉牛丼を食べているときに隣のおじさんのiPhoneから鳴ったときも、休みの日に都内に戻って下北沢でプラプラ買い物をしているときに近くの大学生カップルのiPhoneから鳴ったときも。あの着信音は、身体の穴という穴を通じて、一瞬で全身に駆け巡り、背筋がゾッとする。どこであっても、自分のオンコールと関係のない電話であっても、あの音を聞く度に冷めた気持ちになって、「ああ、自分は後期研修医なんだな」と自覚させられるのだ。

僕は物心がつくころから、発泡スチロールを触ったときに鳴る「キュッ」という音が嫌いだった。聞くと全身に虫唾が走るので、引っ越しのときには友人に頼んで発泡スチロールだけ回収してもらうようにしていたほどだ。これを越えるイヤな音に出会うことはきっと無いだろうと思っていたのに、iPhone SEに出会ってしまって、一瞬で更新されてしまった。本当にこの着信音が嫌いだ。Openingの作曲者さん、ごめんなさい。

iphone

シンガポールでチリクラブを食べていたときはまだ

あのときはまだ、医者ごっごで済んだから幸せだったのだな、とよく思い出すことがある。

3年ほど前、医師国家試験を受検した3週間後の春。僕は大学の同期3人でシンガポールに卒業旅行に行った。航空券代を節約するために、3ヶ月前から予約したチャンギ空港の格安航空Scootに乗った。

東南アジアのUberことGrabで配車したタクシーに乗りながら、独特のSinglishに苦戦しつつ、僕らは楽しい旅を過ごした。Universal Studio Singaporeで他のものと比べて安かったという理由だけで買った謎のキャラクターの耳を着けてみたり、現地の人しかいないようなお店で4シンガポールドル程度のチキンライスを食べたりした。

最終日の前日の夜、一緒に行っていた福田の提案で、一度だけ贅沢をしようと、チリクラブを食べることにした。僕らが選んだ先は、マリーナベイサンズのJUMBO。おそらく、シンガポールで食べるチリクラブの中でも、トップクラスに高いチリクラブのお店だったと思う。

僕らはよくわからないまま、時価だったチリクラブを2種類、まるまる一匹ずつ頼んでしまった。そして一緒に運ばれてきたビニール手袋を着けながら、これでもかというほど大きいチリクラブを解体しながら食べた。

ある程度食べたタイミングで、一度休憩しようと手袋を外そうとしたとき、おもむろに福田が「一回手を下ろします」と言いながら、手袋を裏返しながら綺麗に外した。無意識だったのだろうけど、当時の僕らには、それが外科手術中に手術台から一度降りるために清潔手袋を外すシーンと全く同じであることにとっさに気がつき、「職業病かな。おれら、気持ち悪いよ」と言いながら笑いあった。周りから見たら、きっと変な日本人がいると思われただろう。最終的に3人の食事代は合計13万円にも及んだのは痛かった。

でも、このときは本当に幸せだったと思う。日常生活で、自分たちが医者であることに気がつくことが、こんなにも辛いことだと当時は知らなかったのだから。今となっては、仕事とプライベートをどうやって切り離すかに躍起になっているのである。

チリクラブ

仕事から離れるために実践していること

そんな感じで、後期研修医であることを思い出しては気を病まないように、僕は普段、勤務時間でないときに実践していることがいくつかある。

まずは、勤務時間外は院内スマホの電源を切ったりミュートにすること。電源をつけていると、勤務時間に関係なく、土日祝日だろうと病棟から何故か電話がかかってくるので、積極的に切ることにしている。

二つ目は、医療ドラマを見ないこと。かつては医師になるモチベーションアップのために、コウノトリやコードブルーを録画をしてでも見ていたが、今は完全に辞めている。テレビでくつろいでいるときくらい、医療から離れたいものだ。

そして三つ目は、疲れているときにインスタを開かないことだ。最近、ストーリーで、自由診療の募集広告ばかり流れてくるから、正直心が揺れて仕方がない。「週5日8時から17時半まで、土日祝日勤務・オンコール・当直なしで2500万円」を見て、現状の自分と比較して苦しむなというほうが間違っている。保険診療の範囲内で、僕はどうにか内科専門医を取るのだという自制心のみで生きているのだから、あれは刺激が強すぎる。

もし、これを読んでいる後期研修医の方がいたら教えてください。皆さんは、どうやってこの鬱々とした気持ちから逃れていますか?僕を救い出してくれる妙案を、心の底からお待ちしています。

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Dr.パンダ

この記事のライター

Dr.パンダ

地方出身、中高は公立で東京大学に入学し、医学科に進学して令和X年に卒業しました。現在は、地方の急性期病院にて勤務しています。ひとりの若手医師として心の内をリアルにお届けできればと思います。

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