後期研修医の憂鬱Vol.1 デエビゴで目が覚める宿日直の夜
都内の医学部を卒業し、初期研修を終えた僕は、地方の巨大病院に内科レジデントの医局派遣としてやってきた。「レジデント・ノクターン」の世界は、そんな僕の日常を語るシリーズ。僕の寂寥が、この地方の大きな建物の中に凝縮されている。いつ、この鬱々とした気持ちから抜け出せるのだろうか。
デエビゴに起こされる当直の夜
深夜2時、僕は病棟からのコールで目が覚める。
「この時間に申し訳ないのですが、3号室4番ベッドのXXさんがどうしても眠れないみたいです。頓用で睡眠薬を処方していただくことはできますか?」
「わかりました。デエビゴを処方しますから、今日はそちらを内服していただくようお伝えください」
僕は虚ろなレベルのまま、ピッチの電源を切って病棟のカルテへと向かう。デエビゴは僕が医者になってから3年間で、最も処方した薬の1つだ。どうやら、日本のとある薬剤検索アプリで、年間検索ランキングの第1位に君臨しているらしい。副作用で稀に悪夢を見ることがあるらしいけれど、それだけ処方されるのだからよく眠れるに違いないだろう。皮肉なことに、患者さんにとっては良く眠れるデエビゴは、僕にとっては当直中の眠りを覚ます薬の1つなのである。
病棟に着くと、カルテPCのある一番端の椅子に座りICカードを置く。この時間帯に、カルテにログインするまでの微妙な待ち時間が苦痛だ。この数分間は異常なほど長く感じる。なぜ当院のカルテというのはこんなにも動作が遅いのだろうか。静寂に包まれた病棟の中で、待ちきれずに机をトントン叩く自分の手の音だけが響く。
3分も経ってようやくログインできたところで、慣れた手つきで処方をしてカルテに記載を行った。病棟看護師にその旨を伝え、僕は重たい足取りで当直部屋へと戻っていく。よくある病棟当直のリアルなワンシーンだ。でも、こんなシーンは医療ドラマでも一度も見たことがない。見栄えしないから当たり前なのだろうけれど。
宿日直許可はごまかしの働き方改革
当直部屋に戻り、僕はベッドに倒れ込む。マットレスが驚くほど固い。ふと、3年前の東京オリンピックでメダリストが「マットレスにはお金をかけるべきだ」と言っていたのを思い出す。そのアドバイスに従い、自宅には9万円もするシモンズのマットレスを購入した。だが、その快適さとは正反対で、この当直室のマットレスは固すぎて、眠るのが一苦労だ。あと、個人的にはこういう当直室にある白いシーツが好きではない。大学生がサークル合宿で泊まる宿とかであるタイプのやつだ。清潔感はあるけれど、どうにもリラックスできない。
宿日直。僕が今している仕事は、最近になってこう呼ばれているらしい。詳しいことは分からないけど、実態としてほとんど働いていないような「寝当直」に値する当直のことをだと認識している(違っていたらどなたか教えてください)。宿日直の許可が得られた病院では、いわゆる「働き方改革」に準じた労働時間の制限が要らないらしい。つまり、僕は明日(時計上は”今日”になっている)も普通に働くのだ。朝の9時から、いつものように内科の3診で、数十人の外来診療を行うのである。
これが世間一般から見て普通のことなのか、それともおかしいことなのかすらよくわからない。僕が働いている病院では、それが「当たり前」だからーー。どう考えてもおかしいことなのに、「仕方がないから」、「そうしないと人がいないから」という理由で皆続けている。特に僕みたいな後期研修医の立場は圧倒的に弱いから、声を上げることすらできない。下手なことをして、専門医取得が遅れるようなことがあれば困るから。j-oslerしかり、本当によくできたシステムである。
地方で働き始めてわかったこと
眠れないまま、硬いベッドの上でスマホでインスタを開く。都内で研修を続けている大学同期の山本が、僕の住んでいる地域には決してないような恵比寿の韓国料理屋で楽しそうに飲んでいるストーリーを上げている。一緒に映っている人達に知り合いがいないか、意味も無くストーリーを長押しで止めて確認してから、インスタを閉じた。今の僕には、インスタよりも、Twitterの医クラのほうが合っている気がする(Xという呼び名がまだ慣れない)。Twitterなら、僕と同じような鬱憤を見ることができるので、少し救われた気分になる。
地方の大病院で働き始めて、その近隣の宿舎に住まいを構えてよくわかったことがある。買い物をする場所、たまの休みに飲みに行く店、そしてその相手、どんな生活をしているかーー。この病院では、付き合いがある人たちの間で、ありとあらゆる情報が筒抜けとなり、都内ではあったはずのプライバシーは、あってないようなものになるのだ。学生時代に住んでいた都内のマンションでは、隣にどんな人が住んでいるかなんて知りもしなかったのに。今では、全ての生活が1つの閉じられた系のようになっていて、そこから抜け出す方法があまりにも少ない。病棟スタッフと夜まで飲み会をしているレジデントもいるようだけど、僕にはそれがどうしても合わない。だから、たまの休み、月に1度ほどは東京に出るのだけど、それもまるでカイジの1日外出録ハンチョウのようだと思う。
もちろん、地方にだって良いこともたくさんある。圧倒的な症例数と経験は、ある程度棲み分けがなされた都内では得られないし、患者さんの穏やかな感じも、地方特有のものがあると思う。それに、家賃も食事も美味しく、生活をするには十分だ。
でも、どうしてだろう。この病院に来て、休みも惜しんで働くようになってから、何とも言えない虚無感に襲われるようなことが多くなった気がする。ここで働く1年間は、その理由を探す毎日になるだろうと思う。
この時間から寝ろと言われても
そうこうしているうちに、時計は深夜の2時50分となった。9時の外来が始まる前に病棟回診をしてカルテを書くとしても、あと4時間近くは休める。とはいえ、今からゆっくり寝ろと言われても無理がある。一度目が覚めてしまったら、そこからまた快眠を得るなんてできない。しかもこの硬いベッドだから尚更だ。
ーーー結局、携帯の充電が中途半端なまま、寝落ちしていたらしい。7時半のアラームで目が覚めたけれど、全く寝た気がしない。身体がだるい、だるすぎる。これが寝当直扱いになるんだから、馬鹿げていると思う。この状態で、はつらつと外来ができるわけがない。でも、やるしかない。
こうして、僕は数時間前に外したばかりのコンタクトを付け直し、病棟に向かった。これがあと何回続くのだろう。誰でも良いから、この気持ちから抜け出す方法を教えて欲しい。
この記事のライター
Dr.パンダ
地方出身、中高は公立で東京大学に入学し、医学科に進学して令和X年に卒業しました。現在は、地方の急性期病院にて勤務しています。ひとりの若手医師として心の内をリアルにお届けできればと思います。
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