【ショートストーリー】医師×看護師カップルのある日の病棟当直の夜更け
目次
院内で医師と看護師が付き合うと、あまり良い結果にならないと言う人がいる。理由は、お互いの生活スケジュールが合わない、医師の転勤に応じて破局してしまう、など様々だ。
休日もオンコールの多い若手医師と、日勤・夜勤を繰り返す看護師の組み合わせでは、二人でデートをする時間もなかなか取れず、いつの間にかすれ違いが増えていってしまうことも多い。
さらに、同じ病棟内での交際であれば、周りの目もあるので、仕事中に話をすることなんてできないし、そもそもお互い仕事中でそれどころではないことが確かだ。
それでも、仕事中にも関わらず話ができるタイミングがある。当直中、深夜にぽっかり開いた自由時間は、二人が恋人の距離を思い出すのにちょうどいい時間なのだ。
誰もいない医局のパソコンの前で、俺はカルテを入力していた。外は真っ暗で、蛍光灯も最低限しか点灯していない。現在は深夜二時。病棟当直帯である。
都内の私立大学を卒業して、関連病院で二年間研修を終えた俺は、内科専門医を取った後、今の病院で消化器内科医として一昨年から勤務している。現在医師八年目。まあ若手ではなくなり、責任が重くなってくる年頃というわけだ。
朝から夕方までぶっ通しの内視鏡検査を終えた俺は、終了と同時に救急外来でのかかりつけの患者の下血の対応をした。気がつけばもう時刻は深夜2時だ。幸い今日は当直なので、帰宅する必要はない。このカルテを書き終えれば当直室に向かって一眠りすることが……。
「~~♪ ~~♪」
場違いな戦場のメリークリスマスが静寂を破る。当直PHSの着信音を変更した不届き者がいたらしい。普段なら気持ちが落ち着くだろうが、当直勤務中の今、そんなはずはない。少し荒々しくPHSを取り出し、画面を確認する。
やはり病棟からの着信だ。おおかた患者のことでの相談だろう。俺は通話ボタンを押す。
「あ、先生すみません。6A病棟なんですけど、患者さんのことで相談がありまして……」
予想通りの内容だった。どうやら昨夜から腹痛のあった患者さんが、また痛みを訴えているらしい。経過表を確認したら、排便が三日間なかったので、浣腸を医師の方からも説得してほしい、とのことだった。
緊急性の低い用事に仕事を妨げられたことに理不尽さを感じながらも、当直医の責務として病棟に向かわなければならない。医師八年目ともなれば病棟の理不尽さにも慣れ、ここで自分が動いた方が病棟と仕事をしやすくなるとの打算だ。
カルテをさっさと書き上げ、白衣に袖を通す。どこ病棟と言っていたか。6Aだったか。……なるほど6Aか。そういえば今日は同じ6階の別病棟のあいつが夜勤だったな。
俺は早く浣腸の説得をすることにして、その後の予定を頭の中で組み立て医局を後にした。
結局、患者さんを説得するのに三十分くらいかかってしまった。看護師に、患者さんが浣腸に納得したことを伝えた俺は、当直室ではなく同じフロアの別病棟に向かった。
夜の病院は静かだ。廊下を歩く自分の足音だけが響く。
夜の病院は暗い。病室も廊下も消灯している。
その中で唯一の光、煌々と明るいナースステーションでカルテに向かい合っている後ろ姿に、俺は声をかける。
「よ」
呼びかけに振り向いたのは、二年目の看護師。そして、俺の彼女の美保だ。
「え? なに、びっくりしたー」
背は小さめだがくりくりっとした目と黒髪が魅力的な子だ。彼女とは付き合って5ヶ月になる。
「こんな時間にどうしたの」
「ちょっと会いたくなってさ」
「会いたくなった、って」
そう呆れ気味に返す彼女だったが、まんざらでもなさそうだ。俺はすかさず横に座る。
「カルテで何してたの」
「んー。記録。そっちは?」
「隣の病棟に呼ばれて、終わったとこ」
「そ。今あたし以外いないからちょうどいいタイミングだったね。リーダーがいたら追い返されるんじゃない?」
そう言ってニヤける美保の顔を、俺はまじまじと眺めた。
彼女との出会いは飲み会だった。昨年の病棟忘年会で席が近くになったことがきっかけで話すようになり連絡先を交換した。お互い映画が好きということで意気投合した俺達は、三回のデートを経て付き合うことになった。
「今日は、早く終わりそう?」
美保は小首をかしげながら言う。
「うん。当直明けで外勤も外来もないから、午前中に患者を見たら午後は確実に帰れるはず」
「ほんと! じゃあ、家で待ってる」
俺と美保は、同棲はしていないものの、お互い病院の近くに住んでるので、互いの家を行き来している。医師のカレンダー通りのスケジュールと、看護師のシフト制でなかなか休日を合わせることができない。だから就業後の時間だったり、当直中などが俺達が顔を合わせられる短い時間の一つだった。
「なに作ってくれるの?」
「内緒。でもきっと好きだと思うよ」
「まじ? じゃあ楽しみにしてる」
そう俺が言うなり、美保が俺に寄りかかってきた。そして俺を見上げて可愛い顔をこちらに向ける。
「勤務中じゃないの」
「いいじゃん。今誰もいないんだし」
お互い患者からの呼び出しがないタイミング。この時間、今この広い病棟で置きているのは、俺と美保の二人だけだった。
しばらくそうしていると、再び戦場のメリークリスマスが流れた。当直PHSへの入電である。電話に出ると、救急外来からだった。どうもかかりつけの患者が腹痛を訴えて来院したみたいだ。
電話を切ると、美保が悲しそうな顔でこちらを見ていた。
「もういっちゃう? 呼ばれた?」
「ま、仕事中だからね」
納得いかない顔を浮かべる美保。少しからかいたくなる。
「俺が行っちゃうとさみしい?」
「……別に」
そう口を尖らせる顔も、この上なくかわいい。
「また明日……いや今日の夕方楽しみにしてる」
「うん……会いに来てくれて嬉しかった」
去り際に一度振り返ると、美保は満面の笑みでこっちを見て手を振っていた。
言葉にならないような思いを胸に、俺は救急外来への向かったのだった。
俺達のように同じ病院に勤めていると、こうやって深夜の病棟で時間を過ごすことができる。ささやかなだけど、二人が同じ時間を過ごすことができる大切な瞬間だ。
こういうのがあるからこそ当直も頑張ることができる。
この記事のライター
波栗
医師八年目です。内科医をしながら小説家もしております。現役医師としてみなさんが共感できるようなストーリーを、一部フィクションも交えながら書いていきたいです。。。
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